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広島市でつばさ整骨院を営んでいます。50,000件の臨床試験、そして宇宙とのコンタクトから紐解く心とからだの不思議を綴ります。

8月6日 広島にとって特別な日

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8月6日。

 

今日は、広島にとって特別な一日です。

8月6日が日曜日というのは、私が広島に来て2回目です。

(前回は、2006年でした。)

 

ここ3年ほどは、広島市西区の太光寺で毎年行われる平和祈願一万枚護摩供に参加していました。

これは、8月5日20時より開始、翌日6日の8時までの12時間行われます。

淡々と、火の前で不動明王の御真言を唱え続けるわけですが、今の自分の在り方について、大きな氣づきを得ることができました。

 

今年は、どのような迎え方をしようかと考えたときに、

より自分の内側へソウルダイブしたくなったので、護摩供には参加せず、約1時間走ることにしました。

というわけで、今年の8時15分は、平和公園で迎えました。

7時過ぎに通過したときには、歩道で花を配られていました。

 

 

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 さてさて。

8月6日が最もピークなのでしょうか。

しばしば、スピリチュアルの方々が、

「広島を癒さなければならない。」

「広島は、まだ浄化されていない。」

などが散見されます。

 

私は、生まれ育ちは山口県ですが、広島に来て17年目となります。

すっかり広島人となっています。

 

なので、あえてひと言物申したい!

 

浄化や癒し等が必要な世界もあるかもしれない。

(その人の世界の真実だろうから。)

 

原爆投下後、75年は草木も生えないと言われていたそうです。

今年は、原爆投下から72年です。

今の広島の現状は、見事に復興しています。

これを見ても、尚、癒しが浄化が必要なのでしょうか。

 

私は、これまで何十人ものクライアント様から、被爆体験談をうかがいました。

その状況を想像しようにも、想像できないくらいでした。

しかし、どなたもアメリカへの恨みつらみを仰いません。

それよりも、どのようにして復興していったかについて、力説してくださいました。

 

広島市内を走る路面電車にまつわるエピソードをご紹介します。

 

1945年8月6日。

走行していた123両のうち108両が破壊され、線路も大打撃を受けました。

とうてい電車を運行できるような状況ではなかったわけでしたが、広島電鉄の技術者たちはすぐに復旧作業に取り掛かったそうです。

技術者といっても、働き盛りの男性たちは戦地へ赴いているので、運転士にも女性も多かったと言われています。

広島電鉄路面電車を運転していたのは、初潮を迎えたか、まだ迎えていない年頃の少女たちもいらっしゃったそうです。)

悲惨な状況であったことは容易に想像できます。

しかし、復旧作業からわずか3日後、路面電車は運行を再開したのです。

 

また、原爆投下から2カ月後の1945年10月には、既に仮設住宅が立ち始めたそうです。

 

1945年11月に恵比寿神社が再建されて、復興祈願祭が執り行われました。

 

1946年1月には、広島復興局が開設され、行政と一丸となった復興が本格化します。

そして4月には復興都市計画が策定されました。

1946年4月には都市ガスが再開しました。

 

これらの情報からすると、都市インフラの復旧が、もの凄い勢いで進行していることがわかります。

 

ちなみに1946年年の水道の復旧率が、なんと70%です。

広島市の人口は、1946年末のデータで、15万人にも達しました。

人類史上最悪の核攻撃からわずか1年半たらずで、広島市は蘇ったのです。

 

もう1つ。

広島と言えば、マツダ

マツダの本社工場は、広島郊外(東南東)に有り、原爆による被災を免れました。
(爆心地からは比治山の陰になるため軽減されたということもあったそうです。)
それから1年間、県庁は、マツダの本社に間借りしていました。

これが復興の中核となり、高度成長期に人口も急速に増えました。

原爆被災直後の復興では、広島市だけでなく、近隣の中規模の都市、三原市尾道市、さらには、岡山、山口等の人たちの協力もあったそうです。

 

私は、当事者ではありません。

でも、これらの情報から推測するに、

「どのようにすれば、復興、発展するだろうか?」

と人々は考えていらっしゃったのではないでしょうか。

 

私は、この広島復興は、広島市民として、日本人として、誇りに思います。

 

このどこに、癒しや浄化が必要なのでしょうか。

 

広島東洋カープの勝敗に一喜一憂し、

勝敗が挨拶代わりになっている、広島。

 

去年の25年ぶりのセ・リーグ優勝時には、街を挙げてお祝いしました。

 

普段は、そっけなく行き交う人々でも、

繁華街で行き交う誰とでもハイタッチして、カープの優勝をお祝いする姿。

言葉にならない感動。

私も、他県に出張に行けば、その都度「カープおめでとうございます。」等お祝いのお言葉をいただきました。

 

広島に住んで良かった。

本当に良かった。

そして、

広島市民であることを誇りに思います。

 

 

72回目の原爆の日を迎えて。

 

福田孝史

 

 

追伸

私の住んでいるところの近所にある河原町地蔵尊

今年、300年だそうです。

平和公園にて黙とうした後、 こちらで感謝をお祈りしました。

そうすると、8/19、20に行なわれる際に配布されるお札をいただきました。

どうやら、私が第一号だそうです。

感謝しかありません。

 

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