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全ては、最高最善のタイミングでやってくる

広島市でつばさ整骨院を営んでいます。50,000件の臨床試験、そして宇宙とのコンタクトから紐解く心とからだの不思議を綴ります。

【転載】津留晃一さん『真実・事実』

メッセージ

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≪お知らせ≫



其の1


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其の2



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其の3


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今日は、津留晃一さん のメッセージをシェアさせていただきます。


『真実・事実』

「真実」とは何でしょうか? そろそろ自分だけの真実を見つけてみようではありませんか。他人から教わった正しさではなく、何かの本に書いてあった真実でもなく、そしてこれまでのあなたの体験から学び取った真実でもなくです。


「真実って何だろうか?」この想いに意識の焦点レンズをあわせていきます。ピントがあったところで「真実」というイメージ文字をあなたのハートの中心に据え付けて下さい。そしてそのまま、静かにそのイメージ文字に意識を合わせ続けます。そうしているといろんな想念がわき上がってくるかもしれません。その一つ一つに意識を合わせます。「なるほど、なるほど、そうかもしれない」と、いったん受け取り流していきます。浮かんできた想念をつかみません。「そして、そして」と次をうながします。しばらくそうしていると自我さんの記憶の中にある真実に対する概念がおおむね上がってくるでしょう。そしてもう上がってこなくなったところからが始まりです。


「私だけの真実について教えて下さい」そのまま、その質問に自分の全意識を傾けて下さい。そしてその集中が途切れたとき、その質問があなたの潜在意識下に沈められた事になります。後はハイヤーセルフが、あなたを取り巻く多くの宇宙のガイド達が、全宇宙を駆け巡り、真実を集めてきてくれます。あなたが食事をとっている時も、彼とのおしゃべりを楽しんでいる時も、ぐっすり眠りっているときも、いったん潜在意識の下に沈めたあなたの欲求は昼夜を問わず宇宙を駆け巡り働き続けてくれるわけです。そしてあなたはその翌日から直感メッセージを受け取り始める事でしょう。


「うそ」、「ほんと」。「当たった」、「当たらない」。こんな言葉について考えてみる必要があります。何気なく「嘘」という言葉を使いますが、物事の真偽は必ずある条件下で決定することの出来るものです。1+7=10、この数式を見たとき、この数式は間違っているのか正しいのか私には決定する事が出来ません。8進数の計算式だと考えれば正しいからです。10進数という条件下に於いてのみこの計算は間違いということが出来ます。人はそれぞれ全く条件の異なった世界に住んでいます。ですから条件のわからない相手の言っている事を間違いと断定することなど出来ません。


「嘘」とか「本当」という物事の見方は、あくまでも自分サイドに偏った物事の捉え方に過ぎません。何かを見聞きしたとき「ああ、なるほど、そうなのですか」、「あなたの位置からはそう見えているのですね」という捉え方こそが遍在する意識人としての物事の見方と言えるでしょう。


それでは事実とは何でしょうか。「事実」とは「今、あるがまま」の状態の事です。私達はある状態を見た時、認識を持ちます。その認識はあくまでもあなた固有の認識です。そしてそれこそがあなたが今そこにいる理由です。あなたの認識はかけがえのないものであり、あなたにしか持てない宇宙でたった一つの認識です。ですからその認識の仕方に正しいも間違いもありません。高貴な認識も低俗な認識もありません。あなたにとってはその認識こそが今の正しさであるはずです。「この判断で正しいのか」という発想は意味がありません。


あなたが自分の判断に自信が持てないのは、宇宙には真実は一つしかないという考え方から発しています。あなたの見ていることは真実であり、隣の人の見ていることも真実です。真実は人の数だけ存在します。そしてその全員の総和が地球の真実という事になります。あなたは今、あなたの位置からしか見えない地球を眺めています。あなただけにしか捉えることの出来ない、今のあなたの認識を大切にして下さい。あなたはその為に今かけがえのない存在として、この地球に存在しているのですから。


私達は意見の違う事に敏感です。同じ意見の人と居ると安心するのではありませんか。自我にとって「同じ」か「違う」かという事は一大事です。そして意見の違うものを排斥しようとし始めます。あなたのこの自我の働きが、あなた自身に多くの災いをもたらしています。あなたのこの排斥作用が、反作用としてあなたに戻ってくるものとして、あなたは他人からの拒絶を体験しています。人からの拒否や拒絶におびえるあなたに申し上げます。あなたはどうして意見の違いに怯えるのですか? 人は意見の違いを違いとして感じなくなった時に、初めて他人を受け入れることが出来るようになります。そして他人からの拒否、拒絶が消えていきます。


他人からの拒絶を恐れるあなたにとって、真のあなたの敵は、あなたのとる「正しい」「間違い」の判断にあります。あなたの下す「嘘」「本当」の判断にあります。「嘘」もなければ「本当」もありません。あるものは、あるがままの姿、ただ単に今そこにあるもの。変わり続ける宇宙の流れの瞬間があるだけです。全ての事象を、空に漂う雲の流れのように捉えてみませんか。私は2度同じ雲を見たことがありません。どうして意見の違いにこだわりますか。その理由は、あなたは他人と同じ空間に住んでいると誤解しているからです。あなたは自分の目にごまかされているだけです。万華鏡をのぞき込んだときのように、ただそう見えているだけ、といった捉え方をして下さい。


拒絶の反対には要求があります。本来完全な自由を保障されている我々は、他人からの要求を恐れます。「ああして」、「こうして」と要求される事は自我にとって大きなストレスを産み出します。同じ事をしていながら、他人からの要求に基づいて行う行為と、自発的に行う行為とでは180度の違いがあります。奉仕活動は最高の自我の喜びですが、要求されたことを行うのはつらいものです。この違いは一体どこから来るのでしょう。これさえわかればあなたの人生はとても楽なものとなってきます。


少し時間をとって自分の内側に入ってみませんか。答えを聞いたところでそれは単なる知識でしかありません。あなたが内側に入りあなたの内面を広げることはあなたにとって永遠の財産となります。こんな大切な事を、単に答えだけを知識として受け取ってしまうのは余りにもったいないかもしれません。


内側からやって来る欲求に従うのは喜びであるのに対し、外側からやって来る要求に従うのは苦痛です。外からやって来るか内からやって来るかの違いだけだというのに、そこには天と地の違いがあります。自我にとって内か外かということは天と地ほどの開きのある事のようです。この開きが自と他の分離感であるわけです。内と外の境界に立ち、そのいずれもが同じように見えるようになった時、あなたの意識は真の統合を果たしたといえるでしょう。自分の境界がこの物理的肉体の表面にあると感じる限り、内と外の分離感から解放される事はあり得ないでしょう。


外からのあなたへの要求は、あなたが他人へ向けて出している要求依存の裏返しです。私達は他人へ要求すべきであるという多くの思いこみを持っています。妻が夫へ、夫が妻へ、あるいは上司が部下へ、部下が上司へ、多くの当然と考える要求事項を持っています。「こんなにしてあげたのだから」と声には出さないまでも、自我さんは堂々と要求を突きつけるでしょう。そしてそれが、宇宙対自分という構図の中で、あなたの恐れるあなたへの要求という形を取って跳ね返ってくるわけです。 


「このくらいしてくれて当たり前でしょ」、「私のお願いなんてこんな些細なものなのに」こんな自我のつぶやきは一体どこからやって来るのでしょうか。それは制限された自我の限定意識です。「自分には全てをやり遂げる力がない」という思いこみから発生します。これは「する事」になれきった自我の習慣的自動発想です。想いで全てを産み出す創造主的発想からはかけ離れたものです。能力的限界を信じ込む肉体自我は、自分に出来ない事を他人へ要求することは至極当然のことであるわけです。自分の限界を信じるものは、他人へ要求し、そして自分の他人への要求が巡り巡ってまたやがてあなたの元へ返ってきます。


世話になった親には恩返しをしなければならないと考えている人にとって、親から突きつけられる要求ほど苦痛なものはないわけです。親の期待通りには動きたくない自分に、やり場のない焦燥感がやってきます。こうしてどうしようもなくなったあなたは精神世界に目覚めました。そしてこんな素晴らしい知識を身につけました。「私には不可能なことは何もない」とか、「私は無限である」といったとても新鮮な考え方です。


確かに真新しい知識を頭では理解しました。ですが自我の古い知識はそのままです。自我は相変わらず習慣的発想をロボットのように繰り返しています。あなたの気付く間もない瞬間的判断を潜在意識下で働かせているわけです。とても便利な自動操縦システムがあることを忘れたままです。利便性のためにあった潜在意識下の自動操縦が災いとして機能している事に気付けません。これでは現実は変わりません。状況も環境も変わりようがありません。「自分には出来なくて当然」こんな固定的価値観をぶちこわす必要があります。


それには根気のいる自我の矯正も必要です。あなたはあなた自身の限界を繰り返し、繰り返したたき込まれ、そして体験を重ねてきました。自分の限界を潜在意識下の最深部まで深く深く沈め込ます事に成功しています。その逆もまた根気が必要な事は当然でしょう。自動車が運転できるようになるのにも、根気よく同じ動作を意識的に繰り返している内に、いつの間にか全く無意識的動作へと変わっていったはずです。アファメーションもこれと同じ原理であなたを変える強力なテクニックです。


自分にとって真実とは自分を幸せに導くものでなければなりません。自分にとって不都合な考え方を握りしめ続ける必要はありません。重要な事は、今自分は充実しているか、今私は幸せであるか否かという事です。「明日はきっと良い事が起こりそうだ」そんな予感は明日の事ですが、今自分が満たされます。そんな予感は事実に基づいているわけではありませんが、今幸せなのは事実です。そしてそんな予感は、明日やって来る陰陽二極の世界のプラスサイトへ意識を向かわせ、明日のプラス部分を発見します。「やっぱり予感通り良い事が起きた」と。


「会社が倒産するのではないか」この空想は私の肉体を痛めました。現に今倒産しているわけでもないのに、左目は眼底出血を起こし、首筋は傾けられないほど石のように硬くなりました。私の頭の中で繰り返す凡庸な空想がストレスを引き起こし、事実として私の肉体を痛めました。ストレスは事実として存在していましたが、そのストレスを引き起こしていた原因は事実には基づかず、私の頭の中で考え出した非現実でしかありませんでした。この事を理解して下さい。私達が感じているストレスの原因は事実には基づいていないという事をです。しかも肉体を痛めているのは現実です。事実が現実を創っているわけではなく、空想が現実を創っています。 


「本当」か「嘘」か、「正しい」か「間違い」かはあまり重要ではありません。出来事があなたを幸福へ誘うわけではありません。どんな難問であれ、自分には何の関係もないのだと決めることが出来れば、あなたにその難問が影響を与えることは出来ません。


潜在意識にとって物事の真偽は関係がありません。ある意味で嘘か本当かを見極める力はありません。人は単に潜在意識下に沈めてしまったイメージを現実として見ています。真偽とは無関係に・・・。あなたが覚え込んだ事柄が事実として立ち現れてくるだけです。今覚え込んでいる事柄が真実か否かには関係なくあなたに影響を与えます。


「ルールは守らなければならない」という考え方も、単に覚え込んでいるだけです。ですがルールを犯そうとしたときのあなたの苦しみは、事実として現れてきます。「ルールを犯したら世の中がむちゃくちゃになる」という考え方を鵜呑みにしているからです。潜在意識からあなたが覚え込んだ知識を全て消去することが出来たら、そのさらに奥にある集合的無意識層から宇宙の基本ルールという真実が立ち現れて働き始めます。


かくし事はあなたを幸せにはしません。かくし事はあなたの恐れから発しています。恐れそのものを手放さない限りあなたにはかくす必要が出来るわけです。単にルールを犯すのが怖いだけです。事実をいうのが怖いわけです。ルールは他人を縛るために作り出されました。自由を制限するためにです。もうそんな縛りから自由になる時です。事実には良いも悪いもないのですから。


あなたが隠したくなる原因をあたってみて下さい。勇気を持って自分の内面に入り調査して下さい。どんな恐れであれよく調べてみるとそれには根拠がありません。あなたには義務はありません。自分を幸せにするという義務を除いては・・・。あると思い込んでいるだけです。誰が何と言おうと・・・です。



自分の内に入って下さい。自分だけの真実を探して下さい。そして自分で発見した自分の真実を自分の中心に置いて下さい。それがあなたが神であるという事なのですから。それがあなたがあなたのままを生きるという事です。その為にあなたは今そこにいます。人間を体験するために・・・。