全ては、最高最善のタイミングでやってくる

広島市でつばさ整骨院を営んでいます。50,000件の臨床試験、そして宇宙とのコンタクトから紐解く心とからだの不思議を綴ります。

ふと思うことvol.1

トークライブ主催ということで、ゲストのテラさん、黒斎さんがリンクを貼ってくださったおかげで、たくさんの方にこのブログをご訪問して頂いております。

ありがとうございます。

結構言いたい放題書いているので、実物とのギャップに少々驚かれる方もいらっしゃいます(笑)

え〜っと、今日は何の話かと言うと、

「人は、どっからが生と死なのか」

先日、僕が治療家になりたての頃から、ずっと治療を担当させて頂き、その方が遠方に引っ越されてからも、開業後は、しょっちゅう、「患者さん増えたか?」「最初はしんどいかもしれんけど、やっぱり独立したほうがええじゃろう?」とか、電話やメールで応援してくださった方が、亡くなりました。

それがきっかけで、ふと思ったことをつらつら書いてみます。

生まれるって、いつのタイミングがそうなんでしょうか?

大いなる存在と言われる創造主から分離したときでしょうか?

受精したときでしょうか?

魂が宿るといわれる、妊娠3か月頃(つわりの始まり頃)でしょうか?

母体から出てきたときでしょうか?

う〜ん、どれもしっくりこない…。

つきたての餅(大いなる存在と言われる創造主の元で一つだった)から、小さくちぎって、こねて餅の形になった(我々)だけで、どちらも「餅」であるわけで。

単に、ちぎってこねて形にしたのか、そうでないままなのか、要は視覚的に有形か無形かの違い。

だったら、「生まれる」ってどこなのかわからない、そもそも「生まれる」ってのはないのではないか??

「死」にしてもそう。

人は、肉体と魂の構成です。

一般にいう「死」とは、肉体のリミットであって、魂ってのは残ります。

じゃあ、片方残ってるから、「死」じゃないんじゃない?

千の風になって」の歌詞にも、

私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません』ってあります。



ということは、つまり生と死の境目というのは、よくわからないってことなんですね(笑)

まあ、降りてきたメッセージでも、「始まりがないんだから、終わりもない」っていうのがあったし。

単に、名前をつけたがる人間の性と言いますか、そう定義することで、納得させようとしているだけなのかもしれませんね。

今日、お読みいただきありがとうございます。